平成を彩ったあの方この方に聴くインタビュー企画が始動
第一弾はイラストレーターの326(ナカムラミツル)さんに平成を聞きました。
いつどこで生まれましたか。
1978年佐賀県佐賀市生まれ
平成カルチャーで影響を受けた作品は何ですか。
宮崎アニメ(とくにナウシカやラピュタ)と鳥山明先生をはじめとする漫画文化ですね。ドラゴンボール、アキラなど漫画黄金期とともに過ごせ成長出来たことは僕の財産です
平成時代で最も感動した出来事は何ですか。
最近ですかね…自分で作ったアニメ[やさしいあくま]を夢中で見てる子供達の写真や主題歌を声を合わせて歌ってくれている動画や、可愛らしい手紙をいただけて自分がそうだったように本やアニメから子供達の心を作る手助けを出来ているんだな…とダイレクトに感じることが出来て作家冥利に尽きるなぁ…と感謝と感激で涙が出ます。
また絵にしか出来ないこと、というのを痛感する事が最近本当に多くって
子供達の似顔絵を描くオーダー似顔絵をここ数年やっているのですが「目を開けることがなかった我が子が目を開けているところを描いてほしい」とか「生きていたら今頃、七五三を迎える我が子の七五三の姿を描いてほしい」など、写真では撮れない。絵でしか見せてあげられない…そんな絵を描かせていただく、機会を多くいただけて…感謝もされるのですが僕自身も感謝しなく…。そしてその子の存在が心の中にポッと灯るような気がして…優しい、あたたかい気持ちになれるのです。
本当に幸せ者だな…出来すぎた人生だな…と最近すごく思います。
平成時代での最大の挫折をお答えください。
高校生になってから…父、祖父、そして成人してからすぐに祖母…と数年のうちに立て続けに家族を亡くして何の為に生きてるかわからなくなったあの時期が一番辛かったように思います。
今もまだ、全然乗り越えられていませんが祖母を亡くしたあと僕がポロっと「もう誰を喜ばせるために生きたらいいかわからない」とこぼしてしまった時に、寂しそうに母が「わたしがいるじゃない」って言葉は、なんというか、あぁ…まだ僕はひとりぼっちじゃないんだなって思えて頑張れました。前は向けたかな?って思います。
平成元年(1989年1月7日)はどこで何をしていましたか。
小学生だった僕は居間でこたつに入りながら、天皇陛下がお亡くなりになったこと平成という年号に変わることをテレビで見て知りました。
昭和天皇が大好きだったので、とっても悲しかったのを覚えています
平成時代、最大の買い物は何でしょうか。
車ですかね。
フォルクスワーゲンの、ニュービートルを買った時は今思えば一番高い買い物でした。車に興味のなかった僕は車を友達に選んでもらったので買うまでどんな車か知りませんでしたが笑
平成はあなたにとって、どのような時代でしたか。
成功と挫折
別れと出会い
コインの裏表のように、いつも二面性を持っていてとてもコントラストの強い時代だったように思います。
平成の最終日には何を食べたいですか。
コーヒー飲んでたいですね笑
一つの時代が終わることを、コーヒーを飲みながら噛み締めたいです。
平成が終わるまでに何かしたい事はありますか。
越えるのが嫌になるくらいの、
その後の自分の高い壁になれるように
残された時間を、これからの50日間のラストスパートで高く高くしたいです
個展期間中に年号が変わるので、今年の個展を最高の個展にすることが1番の近道なのかもしれません
あなたにとって、平成は何色でしたか。
ターコイズブルーや
ティファニーブルーのようなイメージです
良い時代でした
良い時代すぎました
僕にとっての平成は青春そのものだったので…
あざやかなブルーです
昔、歌のタイトルで
あの青をこえて
というタイトルを付けた歌があったのですが
今思えば平成がその
青そのものでした
【326 略歴 】
1978年、佐賀県生まれのポップアーティスト・イラストライター。音楽グループ「19」の元メンバー。「19」では、ジャケットデザイン、作詞、PV制作を担当。
学生時代より326として作家活動を開始。
1997年のデビュー以来、イラスト、詩、作詞作曲、絵本、小説、漫画、音楽やゲームのビジュアルプロデュースなど、幅広いフィールドで創作活動を展開している。
http://www.titan-net.co.jp/talent/326/